『一斉授業について考える』の心だー

 8月1日(火)午前6時30分。晴れています。

 午前5時前から起きています。この月末には57才,中途半端な時間に目が覚めると,二度と寝られなくなってしまうことがときどきあります。

 こういうとき,何とか寝ようとして目をつむると,頭の中をいろいろなことがぐるぐると回ります。仕事のこと,家族のこと,読んだ本のこと,etc.,etc.,…。それでますます寝られなくなる。悪循環。

 今日もそうなりそうだったので,開き直って今日のブログのネタを考えることにしました。年の功。それほどのもんじゃない(笑)。

 思いついた…というよりも思い出したのが,昔は近藤塾でも一斉授業をやっていたなーということ。

 昔々その昔。近藤塾の黎明期,25年~30年前の話です。まだ今のような,学校,学年関係なしの混在型の形態はとっていませんでした。中学1年生は何曜日の何時から,2年生は何曜日の何時からという風に,学年別に分けてクラスを編成していましたね。

 近藤塾の一斉授業,結構好評でした。自分で言うな!!(笑)まあ,今となっては本当はどうだったかわからないのですが,一斉授業をやらなくなってきたときに,複数の生徒さんの保護者の方から,「もう一斉授業はしないのですか?うちの子,楽しみにしているのですが…」というようなことをいわれたことはありました。うれしかったですね。

 うちの授業,受験用のテクニックを伝授する授業ではありませんでした。学習内容の最も基礎的な部分を丁寧に説明し,興味を持ってもらうことが目的でしたね。

 例えば中1の図形の授業では

 まず身の周りにある直線をさがしてもらいます。生徒A君,教室の柱を指さします。生徒Bさん,定規を持ち出してきます。生徒C君,鉛筆を出してくれます。

 ここで発問します。「さて,これらは本当に直線ですか?」

 例えばじょうぎは直線を引くときに使う道具ですが,拡大鏡で見てみると,厳密な直線とは到底言えません。特に子供向けに売られているようなじょうぎだと,おおよそは直線ですが,表面は波打っています。使い込んですり減っているものもあるわけです。実用上は直線といって差し支えないものですが,厳密な直線じゃあない。

 柱もそうです。四角柱の辺をして直線と認識していますが,厳密には曲がっています,ゆがんでいます。ただ,そんな細かいことを抜きにすれば直線と思って差し支えない形をしているだけです。

 直線は真っ直ぐな線。しかしそれは現実にはなかなかないもので,人間の考えた概念であることを伝えます。

 ホワイトボードに点を打ちます。ここで発問。「これは点ですが,点とは何ですか?」点というのも人間の考えた概念で,面積を持ちません。ホワイトボードに打った点は実用上点と考えて差し支えないものですが,面積を持っています。つまり厳密にいうと数学でいう点とはいえないものです。

 これから学習する図形分野は,普通に使っている図形の用語の意味を厳密に考え,見直すところから始まるんだよ,面白いよ―――!!てなことで締めるわけです。

 これ,中1生には少し難しい部分もありますが,生徒諸君,喰い付きます。特に図形のセンスがある生徒さん,目の色が変わります。

 今はなかなかこういう話をする機会がありません。個別指導でこれをやろうとすると,一人を見るのに付きっ切りで20分使うことになりますので,授業にならないのですね。何かと批判の多い一斉授業ですが,こういうことができるのは一斉授業ならではでしょうね。

 書いているうちに,昔学校の先生の授業がよく脱線していたことを思い出しました。授業の本筋から離れて,どうでも良いようなことを話してくださる。また,中,高時代授業なぞろくすっぽ聞いていなかった私が,こういうときだけは真剣に話を聞くのですね(笑い)。そしてそんな話ばっかり覚えている。同じような効果を狙っておられた部分もあったのでしょうね。そのころは,授業がつぶれてラッキーとしか思いませんでしたが。

 一斉授業,機会があったらまたやってみたいものです。

 なんかノスタルジックになってしまいました。本物のエッセイみたい。それほどのもんじゃあない(笑)。このひとり突っ込み,ちょっと小沢昭一的心風ですね。懐かしい。最後もノスタルジック。

 駄文にお付き合いいただきありがとうございました。またぜひ足をお運びください。よろしくお願いいたします。

 

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